万博で話題の「あの体験」が東京へ。“いのち”を考える展覧会『いのちの未来+』が開幕

「もし、人間と見分けがつかないアンドロイドが、目の前に現れたら?」
大阪・関西万博で話題を集めたシグネチャーパビリオン「いのちの未来」の世界が、新たな物語と展示を加えて東京へ。現在、高輪のMoN Takanawa: The Museum of Narrativesで展覧会『いのちの未来+』が9月25日までの期間限定で開催されています。
人間そっくりのアンドロイドや、1000年以上先の人類、AIと対話する漱石アンドロイドなど、未知との遭遇を通して、“人間らしさ”や“いのち”について考える本展。今回は、その体験についてご紹介します。
万博で話題を呼んだ『いのちの未来』が東京へ
大阪・関西万博で大きな反響を呼んだ「いのちの未来」は、ロボット工学者・石黒浩氏がプロデュースしたシグネチャーパビリオンです。
人間とアンドロイド、そしてテクノロジーが共存する未来を描きながら、「いのちとは何か」「人間らしさとは何か」を問いかけた同パビリオン。今回の『いのちの未来+』では、その世界観を東京・高輪のMoN Takanawaに合わせて再構成しています。
本展示は、万博で描かれた物語をたどるだけではなく、新たなシナリオや展示も加わり、タイトルの「+」の通り、“いのちの未来”をさらに先へと広げる内容に。さらに今回、新たに投げかけられるのが、「いのちの未来を、私たちはどう選ぶのか。」という問い。
未来はただやってくるものなのか。それとも、私たち自身が選び取っていくものなのか。万博からさらに一歩踏み込んだ問いとともに、『いのちの未来+』の物語が始まります。
「人間とは何か」を、未来をたどりながら考える

『いのちの未来+』では、古くから人がモノに“いのち”を宿してきた歴史を起点に、50年後、そして1000年以上先へと時間を進めながら、“いのち”の未来をたどっていきます。

そこに登場するのは、人間と共に暮らすアンドロイドや、さらに遠い未来を生きる存在たち。時代が進むにつれて、「人間とは何か」「人間とアンドロイドを分けるものは何か」という問いも、少しずつ形を変えていきます。
50年後——人間と向き合っているような「ヤマトロイド」

「ZONE2 50年後の未来」で出会うのは、日本の心を宿すアバターアンドロイド「ヤマトロイド」です。
約60カ所の可動部によって、人間のような滑らかな動きを実現したその姿は、遠目には本物の人間と見分けがつかないほど自然。近づいてみると、呼吸をしているかのように胸が上下し、ゆっくりと瞬きをしながら、わずかに変化する表情がやけにリアル。
目の前にいるのは機械。そう頭では分かっているのに、目が合ったように感じたり、じっと見つめ続けることに少しためらいを覚えたり。いつの間にか「アンドロイドを観察している」というより、一人の相手と向き合っているような感覚が生まれてくるから不思議です。
そこでふと考えるのが、私たちは一体、何をもって目の前の存在に“人間らしさ”を感じているのだろう?ということ。
瞬きや呼吸、視線、わずかな表情の変化。普段は意識することのない何気ない振る舞いが、目の前の存在を“人”として感じる大きな要素なのかも?なんて考えさせられます。
「50年後、人とアンドロイドが共存する」。
そう聞くだけなら、まだ遠い未来の話。でもヤマトロイドを前にして、自分自身が思いがけず“人と向き合うような反応”をしていることに気づいた瞬間、その未来がほんの少し近く感じられます。
1000年後——人間の定義を揺さぶる「モモ」

展示は、さらに1000年以上先の未来へ。ここで出会うのが、人間とアンドロイドの境界がなくなった世界に生きる「ミレニアムヒューマン」、モモです。
全身を覆うシリコンスキンの有機的な質感に、空中を漂うようなゆるやかな動き。その姿は、先ほどのヤマトロイドとは対照的で、私たちがいま思い浮かべる“人間”とは大きく異なる存在。それなのに、しばらく眺めていると、不思議と親しみを感じてくるから面白い。
ヤマトロイドでは、人間によく似た姿や仕草から“人らしさ”を感じました。けれどモモを前にすると、見た目が大きく変わっても、なぜ私たちはそこに親しみを感じるのだろう?という、また違った疑問が浮かんできます。
50年後には、まだ別々の存在として共存していた人間とアンドロイド。それが1000年以上先では、身体を機械に置き換えたり、姿そのものを変えたりすることが当たり前になっているかもしれません。
姿も身体も自由に変えられるようになったとき、それでも“人間”と呼べるものは何なのか。ヤマトロイドとはまったく違う姿をしたモモが、私たちが当たり前に持っている「人間」のイメージを、静かに揺さぶってきます。
モモが描く1000年以上先の未来では、変わるのは身体の形だけではないのかもしれません。テクノロジーとともに進化していくなかで、私たち自身の「人間」という捉え方もまた、変わっていく。そんな未来まで想像させる展示です。
“見る”から“話す”へ。漱石アンドロイドとの対話

ヤマトロイドやモモと出会った後は、アンドロイドと言葉を交わす体験へ。これまでは展示を“見る側”だった私たちも、ここでは実際にアンドロイドへ話しかけ、会話に参加していきます。
登場するのは、夏目漱石をモデルにした「漱石アンドロイド」。100年以上前に生きた漱石をアンドロイドとして再現し、現代のAI技術を組み合わせることで、実際に会話できる存在となっています。
面白いのは、こちらの問いかけに対する答えが、あらかじめ用意されたものではないこと。その場でAIが言葉を生成するため、何を問いかけるかによって会話の行方も変わっていきます。
実際に話してみると、「機械から返答を受け取っている」というだけでは片づけられない、不思議な感覚も。
こちらの言葉を受けて答えが返り、その答えを聞いて、また次の言葉を考える。やり取りを重ねるほど、目の前にいるのは“展示物”というより、ひとりの対話相手のようにも感じられてきます。
もし私たちが、人間らしさを姿や身体だけでなく、言葉を交わす関係の中にも感じるとしたら?
ヤマトロイドやモモを“見る”ことで考えてきた人間とアンドロイドの境界が、今度は自分自身がアンドロイドと“話す”ことで、ぐっと身近な問いとして迫ってきます。
展示を見終えたあとも、「問い」は続いていく
人間そっくりのヤマトロイドと向き合い、1000年以上先を生きるモモを見つめ、最後には漱石アンドロイドと言葉を交わす。展示を進むたびに、「人間とは?」「いのちとは?」という問いは、少しずつ形を変えながら自分自身へと返ってきます。
『いのちの未来+』が見せてくれるのは、未来の“正解”ではありません。
むしろ印象に残るのは、最初は遠い未来の話だと思っていたものが、展示を巡るうちに「自分は何を人間らしいと感じるのか」「自分ならどんな未来を選ぶのか」という、自分自身の問題へと変わっていくこと。
未来を見に来たはずが、最後に向き合うことになるのは、いまを生きる自分自身。そして、ここに『いのちの未来+』という展覧会の面白さがあるように感じます。
何かを「見せる」だけではなく、来場者自身に感じてもらい、考えてもらい、会場を出たあとまで続く“問い”を残す。体験がその場で完結せず、その人の中で続いていくことも、イベントが生み出せる価値のひとつなのかもしれません。
会期中には、落合陽一氏らによるトークイベントも開催。展示内容をさらに掘り下げられるドリルや図録、関連書籍、オリジナルグッズなどにも注目を。
展示を見て終わりではなく、そこから考え、誰かと話し、また新しい問いが生まれていく。『いのちの未来+』は、そんな“余白”まで含めて楽しみたい展覧会です。
「いのちの未来」を考えた先に、あなたならどんな未来を思い描くでしょうか。それではまた!
※当社のコンテンツ制作・編集ポリシーに基づいて制作しています